←English site


事務局

代表プロフィール

避難ママのお茶べり会の代表である私も母子避難→家族移住者です。
少しだけ私の避難経緯を…

私の自宅は千葉県浦安市にあります。

3.11の地震の液状化による影響で、自宅が傾きガスと水道がストップしたのでこれでは子育てできないと思い、3月13日に当時2才2ヶ月と8ヶ月の子供達を連れて大阪の実家に避難してきました。
最初、原発のことはそんなに危険だと思っていませんでした。
テレビの画面を見ると大変そうだけど、本当に大変なら政府はちゃんと国民を逃がすだろうと信じていたからです。
でも、枝野さんの言う「ただちに影響はない」とかの報道に少し疑問があったのと、海外の対応がすごかった(韓国の学校が放射能の雨が降るということで休校になったり、中国で日本人観光客に放射能がついているので入国をとめられたとか)ので、そのギャップを不思議に思っていたので、家の傾きの修理が終わるまでに放射能や原発のことをちゃんと調べておこうと思い、インターネットで調べ始ました。
私が見たのは一つの動画でした。
ネットの報道番組で広瀬隆さんというノンフィクション作家がゲストでその時の原発がいかに大変な状況かを政府への怒りを交えて語ってらっしゃいました。
テレビや新聞で報道されていたものとは180度違うことを話していました。
今は日本という国がなくなるかどうかの瀬戸際だと。
「テレビを見ている人は自分で調べてみてください。ちょっと調べればわかることなんだ。どれだけ政府がいい加減なことを言っているかを。」と言っておられたのが印象的でした。
テレビや新聞で情報はちゃんと見ていたと思っていたので、最初は「?」という感じでした。
今まで信じていたものと全然違うものが出てきて、びっくりしたし、怖かった。
でも、勘としかいいようがなかったけれど、今は大変な状況なんだというほうが正しいと思いました。
それから、のめり込むようにインターネットや本などで原発・放射能の勉強をしました。
調べれば調べるほど怖くなり、千葉には帰れないという思いが出てきました。
それまでの私がそうだったようにのほほんと暮らしていた夫とは何回も喧嘩しました。
家族みんなで転職してでも、物理的なもの全て失ってでも避難すべきという私の意見は、考えすぎ、神経質と言われました。
「みんな住んでるから大丈夫。」「千葉の私が避難するなんて福島で頑張ってる人たちに失礼だ。」
そう主張する主人といくら話しても拉致があきませんでした。
私も家族の命がかかっているので一歩も引けず途方にくれました。
何回話しても大げんかで終わってしまう状況に精神的に参っていましたが、これで負けては放射能に負けると同じだと思い、気を取り直して主人と私の違いは子供に対する愛情ではなく放射能の知識の違いだと考え、主人に私が見てきた動画、情報、読んできた本などを少しずつメールで送って見てもらいました。
文句を言いながらもちゃんと読んでくれ、大丈夫と言っていた主人が数ヶ月後には「危険か安全かわからない」というまでになりました。
今では、「きっと危険だから子供と私は避難したままでいい。けれど、いままでやってきた仕事を辞めて自分が避難するということは出来ない。」と言っています。
「転職で今まで積み上げてきたものを捨てることができない。転勤できるように頑張るから待ってくれ」という主人の意見を尊重するというか、転職を決断させることが出来ない状態が続いています。
転勤が先なのか、主人が倒れるのが先なのか、家族バラバラの生活もいつまで続くかわからない。そんな日々が続いています。

(2013年4月に晴れて転勤が決まり、家族移住になりました)

 

各家庭いろいろ事情は違うと思いますが、多くの避難ママに共通しているのは「子どもを守るために避難を決断した」ということです。

同じ想いの人がたくさんいることを知ってもらいたい。
子どもを守るために必死に頑張っているママさんを支えたい。
そんな思いでお茶べり会を作りました。