←English site


避難ママの訴え

2012年11月27日に大阪で行われた「避難者がつくる公聴会」の避難ママの原稿です。

 

私は2歳と3歳の子供を連れて大阪に母子避難している母親です。

震災当時、私たち家族は千葉県浦安市にいました。

今までにない大きな揺れを経験し、夫は帰宅難民になり、地震当日は混乱そのものでした。液状化により自宅が傾きライフラインがストップしたため、当時2歳1ヶ月と7ヶ月の娘たちの育児が難しいと判断し、3月13日に大阪の実家に子供を連れて避難してきました。

最初は自宅の修理が終われば自宅に帰る予定でしたが、関東も汚染がひどいことを知りそれから一度も自宅には戻っていません。

主人は家族を支えるため千葉に残って働いており、震災以降家族離ればなれの生活が続いています。

ハイハイも出来なかった下の娘は今ではもう走れるようになり、片言でしか話せなかった上の娘は一日中話しているおしゃべり好きな女の子になりました。

子供の将来のために貯金するはずのお金も父親が大阪に来る交通費に消えていきます。

交通費や二重生活による経済的負担から子供たちがお父さんに会えるのは多くて一ヶ月に一回のたった一日半。

ただ食事するだけでも本当に貴重で大切な時間で、そんな楽しい家族一緒の時間はあっという間に過ぎてしまいます。

幼い娘たちはお父さんと暮らしていた普通の生活をもう覚えていません。

夫は毎日コンビニのお弁当か外食ばかりで、可愛い盛りの娘たちの成長を側で見ることが出来ないし、娘たちは大好きなお父さんに会うことが出来ず、家族みんな辛い生活が続いていますが、放射能が幼い娘たちにどう影響するのかを考えると千葉県に帰るという選択がどうしても出来ません。

主人が千葉県の自宅に帰る時に娘が号泣するのを見て『なぜこんな小さな子の心を悲しみでいっぱいにしなければいけないのか』と泣きたくなる気持ちを抑えながら「また一緒に住めるようになるからね。もう少し待ってようね」とまるで自分に言い聞かせるように慰めます。

いつまた家族一緒に住めるのか・・・。

先の見えない生活を続けるのは想像以上に辛く苦しいものです。

 

「避難する」という決断を個々にしなければいけないこの状況で、避難している母親の負担を少しでも減らすため「避難ママのお茶べり会」という自助団体を立ち上げました。

交流会で皆さん初対面ばかりですが、避難経緯を話すと涙なくては話せませんでした。

いろいろな母親の話を聞いて感じたのは、みんな子供を守りたいという気持ちだけで必死に避難してきたということでした。

放射能の危機感の違いから、家庭内でも避難するしないで意見が分かれ、子供を守るパートナーである夫からの理解を得られず、「いつ帰ってくるんだ」「帰ってこなければ離婚」と辛い言葉を言われる方も多いです。

それともう一つ感じたのは、自分を責めている母親が多いことです。

震災後、私たちは放射能の雲が来たことを知らされませんでした。

震災の断水で飲み水もなく、高濃度の放射能が舞う中、水を買うスーパーの列に子供を並ばせてしまった。

子供を公園で遊ばせてしまった。

タンポポの綿毛を吹かせてしまった。

知らなかったのは母親のせいではありません。

して当たり前の普通のことをしただけなのに、何に変えても子供を必死に守ろうとしている母親が、まるで自分が被曝させてしまったかのように自分を責める。

そんな切ない現実があるのです。

 

本来国がしなければならない「避難」を個人の努力で続けるのには限界があります。

避難するにはお金がかかります。

父親がほんの少しの時間家族に会いにくるのに数万円かかり、二重生活というのは予想以上に経済的負担が大きいです。

将来の子供のために貯めておいた貯金も底をつき、母親が働こうと思っても子供を預ける先がありません。

放射能に対する危機感の違いから夫婦や親との間に不和が生じ、もう修復出来ないのでは?という家庭や実際に離婚した家庭も多くあります。

新しい生活を自分で築こうにも住宅ローンの問題や新しい土地での仕事探しは容易ではありません。

 

見知らぬ土地で母親一人で子供を育てる。その大変さがわかりますか?

先の見えない不安に耐え、ただでさえ大変な育児を頼れる人がいない見知らぬ土地で一人でこなし、不安で夜も眠れない。そんな状況の中、精神的、体力的に限界がきて、つい子供に手をあげてしまう…。はっと我に返り「自分は何をしているんだ」と自責の念から泣く母親がいることを知っていますか?

母子避難している子供には母親しかいない。その母親から叩かれる。そんな子供の辛さが分かりますか?

 

母親が倒れても代わりに子供を見てくれる人などいないのです。

母子避難している母親が風邪で40度の熱が出て、病院で点滴を打ち、そんな時でも期限が切れる無償住宅を出なければならず、二人の小さい子供の手を引きながら、自分で払える家賃の住宅を探すために不動産屋を何軒も回りました。

もうどうしようもないくらい体が辛くなったけれど、避難を快く思ってない夫や実家に相談すれば「帰ってこい」と言われるのが想像できたので相談出来なかったそうです。

知り合いに状況を話すと二つの提案をされました。

一つはファミリーサポートに頼むこと。子ども二人を見てもらおうと思えば、一時間1300円ぐらいの費用がかかります。これは経済的にギリギリの避難生活で自分が我慢すれば払わずに済むお金なので頼むことが出来ませんでした。

もう一つは家裁に連絡し子供を保護してもらうこと。

その母親は泣きながら話しました。

子供を守るために避難してきたのに、子供を保護してもらうということは自分が子供をみる能力がないというのと一緒だと。自分が情けないと。

10キロも痩せたのに、自分が痩せたことも気付けないほど必死に生活していた彼女が自分を責めて、細い肩を震わせて泣くのです。

 

この母親は子供をみる能力のない母親なんでしょうか?

子供に手をあげてしまった母親は子供を虐待する酷い母親なんでしょうか?

精神的限界はもうとっくに過ぎています。

それでも子供を守りたいという気力だけで何とか耐えているのです。

母親というものは子供のためなら今まで出来なかったことが出来るようになる。

確かにそうかもしれない。でもそんな母親にも限界はあるのです。

 

「復興」「立ち上がれ日本」「みんなで頑張ろう」そんな言葉がテレビで叫ばれる中、こんな母親と子供がいるのが今の日本の状態です。

避難する権利ももらえないのにどうやって復興したらいいんですか?

これ以上どう頑張れって言うんですか?

 

虐待や自殺などの最悪の事態が起こってからでは遅いのです。

そんなことが実際に起こってから対処するのでしょうか?

 

私は自分の子供が体調が悪い時は病院に連れて行き、熱で眠れない時は体を冷やしたり、一晩中背中をさすったりします。「しんどいね。大丈夫だよ。お母さんついてるよ。」と何とか少しでも楽にしてあげようとします。ご飯を食べさせて、汚れたら着替えさせたり、子どもは一人では生きていけません。

私たち大人も小さい頃誰かにそうやってもらったお陰で今、こうして生きているのです。

今度は私たち大人が子供を守る番ではないですか?

この狭い国で原発事故は起こってしまいました。

今は立場なんて関係ありません。

母親も、支援団体の人も、役人も、国会議員も、総理大臣も、東電や関電の社員も立場は関係なく、大人みんなが力を合わせて子供を守らなくてはいけない時です。

 

私は避難している人みんなに同じ支援をして欲しいと思っています。

でもどこかで線引きしないといけないのなら、中間支援団体に継続的に助成金を支給するなどして、何かしらの支援が届くようにしてください。

支援対象外になったからといって帰れないんです。

どこから避難していても、避難するしんどさや子供を守りたいという気持ちは同じです。

 

 

どうかどうか一緒に子供を守ってください。

子供を守りたいという母親を支援してください。

汚染があるのになかったようなフリをしないでください。

故郷を追われてしまった方々に本当の復興をさせてください。

 

お願いします。