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手記を読んだ感想

この手記集には、千葉県から2人の娘さんを連れて大阪の実家に避難された方息子さんを連れて福島県から大阪に避難された方、息子さんを連れて東京から大阪の実家に避難された方、以上3人の母子避難された方の手記と「20年後の我が子への手紙」で構成されています。

 私は、大阪から和歌山へ帰る電車の中で半分ほど読んだのですが、何度ハンカ
チで涙をぬぐったかしれません。乗客の少ない指定席を買っておいて良かったと思いました。

 一々内容をご紹介する訳にもいきませんが、一つだけどうしても書いておきたいエ
ピソードがあります。
 それは、福島県から避難された方の手記の中に書かれていたことです。
 Aさんは、福島第一原発から65㎞ほどのところにあった自宅が地震で損壊して住めなくなり、原発から約40㎞にあった自分の実家に1歳の息子を連れて避難していたのですが、実家のある町で40歳未満の全町民に安定ヨウ素剤が配布されることになったものの、自分と息子は既にその町の住民ではないため、配布対象とはならず、せめて息子の分だけでも何とか配布して欲しいとお願いし、いろいろなところに電話で要請したりしたもののどうしても息子のために入手してあげることができなかったというのです。
 Aさんは手記に書いています。
 「幼い息子が被曝するかもしれないという状況の中で薬をもらえないのは、親としては本当に辛かった、としか言いようがありません。被曝していく息子を目の前に、何もしてやれない悔しさ・・悲しさ・・憤り。今でもその時の光景が鮮明によみがえってきて、夜中にうなされたり寝付けなかったりすることがあります。私は親なのに我が子を守ってやることができなかった、という不甲斐なさが今でも頭から離れません

 本来、万一原発事故が起こった際の対処基準を作るというのであれば、このAさ
んのような思いを全ての母親に二度とさせてはならない、ということが教訓になっていなければならないはずですが、実際にはどうなのでしょうか?
 

 この他、母子避難したママと離れて暮らす夫との関係など、避けては通れない問
題についても、様々な示唆に富む体験談が率直に綴られています。

 通読して思うのは、避難体験は1人1人が個別の事情の中で
決断したものであって、その後の経過も独自のものであるのは当然ですが、母親の我が子に対する無私の愛情は全てに共通だということです。
 そして、母の無私の愛情というものは、原発による「避難ママ」だけには限らない、より普遍性のあるものだということに気がつくと思います。
 私たちは、母の無私の愛情なくして育つことはできなかった者が大半でしょう。
 原発事故の風化、避難者への無理解が懸念される昨今ですが、「避難ママ」たち1人1人の体験は、全ての人の心にきっと届くと思います。
 そして、それが、原発や避難などを「我がこと」として受け止める第一歩になるのだと思いました。
 是非この冊子を手にとってお読みいただきたいと思います。
 そして、1人でも多くの周りの方にお薦めいただければと思います。
 
 〈男性〉

手記集 拝受しました。
原発事故後、母子で転々としている私にとって涙なしには読めませんでした。
西日本一帯に避難されている方々はかなりの数にのぼるのかもしれないと思います。
どうしても、自分の子供を守ろうとしている行動を何がしか自己中心的に感じるところもあり、
またとくに関東出身の人の場合、関東地方は放射能の影響を受けているとはあまり認知されないことから、
ひっそりと身をひそめるように生活している人も多いのではないでしょうか。
(自分が千葉出身なので、つい関東を引き合いに出してすみません。)
そういう人たちが一人でも多くこの本の存在に気づき、一人ではないことを知って励まされればいいな、と思います。
先を急ぐように読んでしまったので、またゆっくりと考えながら読ませていただきます。
このような作品集を作ってくださりありがとうございました。
願わくは、こういう人たちがいるということが共感を持って受け止められるようになりますように・・

改めまして、書いてくださったお母様たち、出版の労をお取り下さった会の皆様に感謝申し上げます。

 

〈女性〉

20年後のあなたへ――東日本大震災避難ママ体験手記集」

新聞に出版の案内が出ており、さっそくメールで注文したのが届けられた。

80ページ余り、千葉県・福島県・東京都から大阪に来て、「避難ママのお茶べり会」に巡り合った「避難ママ」三人の手記が収録されている。この会を立ち上げたのも二人の娘さんを連れて大阪に母子避難した女性であった。

彼女たちの避難の理由は「放射能から子供を守るために」というのであるが、「自主」避難という問題をはじめ、現地に残らざるを得ない配偶者との意思疎通など、困難な課題を抱えての労苦が存在している。

幼い子供たちが、やがて大きくなった時に、父親と別れて暮らさなければならなかった事情や、原発事故当時の実情を知りたいと思った時に、説明となるような手記を残し、併せて子どもたちへの手紙を書こうと決意して、出来上がったものだという。

一 読しての感想はいくつもあるのだが、三人のうち一人は福島からの避難だが、あと二人は千葉県と東京都からである。千葉県の地震の実態について私たちが報道 され、想像していたものとの、あまりの差に愕然とした。震災後の東京の「パニック」ぶりも想像をはるかに超えるものであった。

東北と関東の地域差が当然存在するとしても、私たちの住む世界と被災地の温度差の大きさを実感する。被災地に寄り添うということのむつかしさ、口でいうことはたやすくても、実際に何ができるのか、改めて考える。

漠 然とした放射能に対する恐怖から、幼い子供の母親としてやむにやまれず避難するという行動をとったものの、仕事を抱える夫や両親たちとの認識の差に、家族 の「絆」が崩壊するかもしれぬ危機に直面する事実。時間を経て次第に大きくなる夫婦間の感情の齟齬は予期せぬものであったし、結婚生活の破たんにまで至る おそれのあるものであった。

「母をはじめて二年、妻をはじめて三年」と記された手記の表題には、家族の間の絆が築かれる時間の余裕も与えられずに危機に投げ込まれた呻きが込められている。

ともに生活する中で育みあうべき愛情を、突然の別居のなかで維持することの困難さを、私たちは理解できるか。当事者の夫にとっても理解するには手に余る自身の行動を、共感にまで高めなければならぬ妻の苦渋は、私たちに理解できるという言葉を使うことを許さない。

大災害の、特に原発事故・放射能汚染の引き起こしたものの罪悪は、このように想像することのできぬ広がりを持っている。

しかしながら、彼女たちは見知らぬ土地大阪で、新しいつながりにも恵まれて成長を開始する。

この手記はその成長の第一歩の記録である。

「次々 出てくる酷い対応で、国や東電、マスコミに対する怒りがこみ上げる一方」で「感謝の気持ち」の芽生えを実感した千葉の女性は「私の中の時計が、小さく、で もしっかりと音を立てて進み始めました」と記し、「どうせ同じ時間を過ごすなら、先の事は何も考えず、いま私にやれることを精一杯やろう」と決意する。

「福 島という土地で暮らす人々、この土地から逃げた人々との間には分断が起きているのも事実」と語る彼女は「どちらにしても、親が子を思い、心配し、決めた決 断…それこそが正しい選択なのだと思います。周りがそれをどうこう言えるものではない」と続ける。「正しい判断力」、そして「決断力」と「行動力」の「ど れが欠けても守りたいものを守れない」ことを知ったいま、「残念ながらこの国では国が国民を守るということはしなかった」と断言し「おそらくこれからも変 わらない」と予想しながらも、「この国で生きていくと決めた以上自分たちの身は自分たちで守るしかない」と覚悟して、笑顔で過ごしていきたいと思うと語 る。

「妻 をはじめて三年」の女性は「異議を唱えたいところがいくつもある」夫の言葉を「ぐっと堪えること」が出来た時、「実のところ内心安堵している自分」を発見 する。いまは「私たちなりの家族のかたちを見つけながら『何とかやっていく』という覚悟を胸に、根気強く乗り切っていこう」と思っていると手記を結んでい る。

被災者の実情をありのまま知ることから始めて、被災者の直面している問題を根源にさかのぼって追及する、最低限の科学的態度を保持すること、私たちは初めて被災者と同じ地平に立つことが出来るのではないか。

「何か私にできること」は、その時おのずから明らかになってくるであろう。

決して「頑張れ」ではなく「頑張ろう」というべきという修辞の問題や、「傾聴」の姿勢を強調することなのではない。問われているのは、自主的・自立的に現実に立ち向かう私たちの姿勢、そのものなのであると思うのである。

そのことを教えてくれる「hinanmama」の手記であった。(2013/04/20

なお、注文はhinannmama.letters@gmail.comまで。一読をお勧めする。

 〈男性〉


「20年後のあなたへ」を購入して読みました。小さい子をつれてぎりぎりの中で行動する3人のかたたちの話に涙が出ました。よくがんばられましたね!立派だなと感動しました。

私は、阪神大震災のときに9か月の子供がいて、すぐに大阪の実家に母子で避難、その後西宮の被災地で5ヶ月間すごしたあと、鼻炎などがひどくて滋賀県に家族で4年半避難していた経験があります。
今となっては放射能とは比べ物にならなくて、なんともひ弱なことなんですが。体に影響がでていたし、がれきの中で子供を遊ばせることが感覚的に耐えられませんでした。でも、当時は避難するほどの人はあまりいませんでした。今になってアスベストの影響が言われだしていて、子供は大丈夫だろうかという不安はあります。

手記を書かれている方とはたいへんさがまったく違うとはいえ、自分の経験と重なるもので、身につまされました。「神経質」と白眼視する人につねに傷ついてもきましたが、価値観がまったく違うのだから、「自分は外国から来た人なのだと思おう」と決め、まわりとのギャップを気にしないようにして乗り切りました。反省するのは、自分の信念を人にまったく伝えずに来てしまったことです。

放射能のことについては、まわりの無関心に驚くばかりです!原発や放射能の話は夫とは成り立ちません。話せる友人も少しです。でも、この本を読んで「コミュニケーションスキル」について知り、いやな思いをしても、少しずつでも、伝える努力がいると勉強しました。

子供にできることは全部してやりたい、でも、体力的にも経済的にも厳しいので、苦しいことが多いかと思います。でも、時間は過ぎていきます(私の子供は19歳と12歳です)。子供が10歳まではキラキラ輝く貴重な時間です。悩みに心を埋めるかわりに、子供と過ごすときだけは真っ白な状態で「今の」子供のよさを味わって下さいと、願います(すみません、自分はできなかったのですが…)。

素晴らしい手記をありがとうございました。御自身のお体も大切にして下さいね。私も自分ができることをがんばります。

〈女性〉

昨夜、手記を拝読しました。

 

不安と憤りを感じながら必死でご苦労されているご様子に感動を覚えました。

子どもと家族を守る日々の戦いが、ご自分を自立成長させ、やがてご伴侶や仲間をも成長させていく過程にも感じ入りました。

20年経ずとも、お子達がこの手記を読めば、素晴らしい母親モデルとして心に刻みつけられることと思います。

大勢の支援者や団体がおられるのですから、ご遠慮されずにいろいろ支援を求められたらよいと思います。

支援する方もそれで癒されることが多いのですから。

手記は一応5冊頂きましたので、足らなくなりましたらご連絡いたします。

 

ではお元気で。

〈70代男性〉

 

手記をご送付くださり、ありがとうございました
 
大変なご体験をなさったうえ、そしてそれをこのようにまとめられるのも
とてもご苦労されたと思いました
けれども形に残すというのはほんとうに大切なプロセスですし
将来への財産だと思いました
 
これから少しずつ周囲の知人に手渡しで伝えていきたいと思います
どうかお元気で、関西の地に平和の道を開いてくださいね
私も東京から移住して27年、ここを故郷として生きております
 
ありがとうございました

 

〈50代女性〉

 

購入させていただいた本を読ませていただきました。

 

地震の時は私は仕事をしていて、その日は残業で帰ったのが11時頃でした。帰ったら食い入るように主人と子どもが津波に流されている家の映像を見ていました。私はその状況をすぐには理解できず、唖然としました。次の日の午後福島の原発が爆発したのを見て、次の週から生協で関東以北の物を買うのをやめました。後で後悔したくなかったからです。主人は神経質すぎると言いましたが、原発などの本などを読んだことがあってそうしました。そして、一番不思議だったのはあの状態で東北の人が避難して来ないことでした。後で知ったことですが、マスコミに規制されてたそうですね。それが非常に怖いことだと思いました。

母一人で子どもだけを連れて避難を決意されたことを本当に勇気のある行動だと思い、頭が下がります。家族親類から反対されても我が子を守るため、大阪まで夢中で来られたところを読むと自然と涙が流れてきました。

避難ママの気持ちをすべてわかることはできないかもしれないけど、私も子どもを持つ母としてこの本は本当に考えさせられました。非常事態になれば、私も子どもを連れて避難する決心が出来るかなど。

大変な中、前向きに生きようとしているママを本から感じ、私自身も元気をもらいました。

私も原発は反対です。仕事も持ってなかなか行動にうつせないけど、その気持ちだけはぶれません。

そして、少しでも一緒に行動にうつせたらと思います。

 

ありがとうございました。

 

〈40代女性〉

 

 
◯◯さん達からお話を直に聞けたこと、
そして、『20年後のあなたへ』を出版してくださって、リアルな体験を勇気をもって正直に分かち合ってくださったことに、心から感謝しています。
 
手記と20年後のお子さんにあてた手紙を読んで、
◯◯さんがお子さん達のいのちを守るという本当に正しい目的のために、
この2年間、日々刻々起きてくることを最良のものに変えながら、
苦しみながらも人間として成長し続けてこられたことをとても感じて、
胸の痛みとともに、なんて勇気のあるすばらしい生き方だろうかと感動して、
涙が止まりませんでした。
 
こんなひどい状況のなかでも、逃げずに真っ向から立ち向かって、
自分が決める生き方に気づいて、本当に自立して生きる選択をされたことはすばらしいとおもいました!!!
 
この2年間に、◯◯さんはお子さんたちにも、ご主人にも、ご家族や周りの方たちにも、
同じ苦しみをもって生きている沢山の仲間の方たちにも、そして◯◯さんのような苦しみを経験しないですんだ私たちのような大勢の人たちにも、無形のすばらしい宝のような発信をしてくださいました。
おこさんたちにたいして、生きていくために本当に大切なものは何かを、身をもって、お子さん達が感じられる形で伝えることで、一番貴重な贈り物をされたと私は信じています。
 
いのちの大切さ、それを守りさらに輝かせるために勇気をだして自分で決断する生き方が、この困難な時代を生き抜いていく生き方だということ、他にもいろいろ貴重なメッセージを伝えて続けてくださってどうもありがとうございます<m(__)m>
 
私は、アバターという自己開発ワークショップで教える仕事をしています。
この10年間自分でアバターというものを実践する中で、そういう生き方を身につけようと努力してきました。「意図的に生きる」とアバターでは言います。
 
アバターの教材のなかにこんな一節があります:
「私たちは誰でも、聖なる輝きと共に生まれてきています。この輝きが明るく光を放っているときには、私たちは自分の最良で高潔な面を経験します。 私たちは協力し合い、お互いに本当の自分を見せ合います。この状態は、危機に瀕すると本能的にでてくるものですが、偉大な仕事を成し遂げるために意図的に創りだすことも可能です。」(ハリー・パルマー著 『リサーフェシング』ワークブックより)
 
アバターには、特にこのような大変な時代を生きていくために非常に助けになるツール(道具)が沢山あります。私は、それを使うことで人間として本当に幸せに生きてほしいとおもって、またそのようにみんなが生きられる世界をできる限りはやく創りたくて、アバターを伝えたり教えたりしています。本当の復興は、まず自分が意識的な自立をすることから始まるとおもっています。
 
またお目にかかってお話しできることを願っています。(^o^)丿
 
感謝をこめて
〈60代女性〉

送っていただいた冊子を読んでいるところですが、震災直後の、困難さがひしひしと伝わってきて、本当に大変なご苦労をされたんだ、今も大変な状況が続いているんだということがわかりました。

お子さんを連れての避難は、当事者の声がないと、あまり細かいところまでわからず、共感しにくいとおもいます。この冊子が活かされることを強く願うものです。と同時にこうした冊子を作られた、行動力に敬意を表したいと思います。

ありがとうございました。 

 

〈50代 女性〉

現在の日本社会がかかえている深い問題が見えてきます。
内容,編集,デザインとも,ていねいに作られています。
こちらで紹介させていただきました。
「20年後のあなたへ」東日本大震災避難ママ体験手記集
http://pub.ne.jp/tarojii/?entry_id=4851405

〈男性〉