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手記 その2

福島県郡山市からの母子避難者です。
手記その1とは別の方です。
母親も父親も子どももみんな辛いですね。



私は、福島県郡山市から大阪に避難してきました。

震災当時は、会社員の夫と幼稚園児、産まれて間もない赤ちゃん、そして私の4人で暮らしていました。

原発が爆発し、30km 圏内まで屋内退避が発表されました。
我が家は50〜60km のところにあり、政府からの指示は何もなく、原発が落ち着くまで念のため避難しようというつもりで3月15日に飛行機で大阪に来ました。

あとから30km どころか郡山までひどく汚染されていたことを知り、東電と政府の間違った対応に今でも憤りを感じています。
きちんとした情報を出していれば外出はしなかっただろうし、子供に無理やりにでもマスクをさせて急いで避難していたと思います。

結局、避難するために車で空港に向かい、子供はすぐにマスクをはずしてしまいました。
飛行機が遅れていたため空港でかなり待ちました。
その間、出入口付近にもいたので、少なからず子供は放射性物質を吸い込んでしまっただろうと思います。
下の子も母乳だけで育てていたので母乳も大丈夫だったのだろうかと今でも思います。

大阪に着いて2、3日後、疲れのせいか放射能のせいかわかりませんが、私はとても喉が痛く、微熱、頭痛、吐き気、胃痛で体調がとても悪かったです。

上の子は4月5月はよく熱を出しました。
4月になり何度も鼻血を出し、1ヵ月以上続きました。当時はまさか放射能の影響ではないだろうと思っていましたが、次第にテレビでも鼻血のことが話題になり、不安に思っています。

避難した子供にも継続した健康診断を願っています。
今のところ健康問題について具体的な情報もなく、ただ何も起きないことを祈っているだけです。

主人は、大阪に来てから数日後、新潟に行き、4月に入ってから郡山に戻りました。
それ以来、今も別居生活が続いています。
そして、毎日被曝し続けています。
見るからに疲れた顔をしていて心配です。

牛乳は汚染されていると聞き、主人に九州の牛乳を送りました。
せめて内部被曝は減らしたいと思っています。
主人は帰りが遅くどうしても外食やスーパーやコンビニのお弁当が中心の生活です。
地産地消が心配です。
汚染された地域にこそ安全な食べ物をまわしてほしいと思っています。
いまだに空間線量も高いのに食品からの内部被曝が心配です。

主人は、時々子供たちに会いに大阪に来ます。
上の子は父親に会えるのを心待ちにし今度の土曜日は帰ってくる?と毎週聞いてきます。
下の子はまだ父親を覚えておらず、会うたびに戸惑った顔をするので主人にも寂しい思いをさせてしまっています。

初めは春休み明けに帰るつもりでしたが、GW 明けには、夏休み明けには、と何度も郡山に帰ることを願っていましたが今も叶わず、先はまったく見えません。

また、上の子は幼稚園を変わることになり、仲の良かった友達と突然離れてしまいました。
子供に福島は危険だから帰れないということを話すと、福島にいる友達は大丈夫なの?と聞かれ、返す言葉もありませんでした。

悪い情報が後から後から出てきて国は信用できなくなりました。
今も政府の出す放射能に対する基準が信用できないので食品や瓦礫が安全だと言われても信用できません。

被曝してしまった人は、もうこれ以上少しも被曝したくないと思います。

瓦礫問題は被災地も困っていると思うので(被災地の方が本当に広域処理を望んでいるのかはあやしいところもありますし、復興が進まないのは瓦礫だけが問題ではないと思いますが)難しいですが、放射能をみんなで分けあうというのはおかしいと思います。
汚染されていない土地を被災者のための保養地にし、汚染されていない食品を被災者に食べてもらうほうが被災地支援になるのではないかと思います。

農家や酪農家の方には申し訳ないですが(責めるべきは東電と政府です)、厳しい基準で検査し、本当に汚染されていない物なら喜んで東北、関東の物を買い、少しでも被災地支援になればと思います。

私が願うのはただ家族揃って、子供が元気に外でのびのびと走り回れる環境で暮らすというあたりまえのことです。
今大阪で、幼稚園や公園でのびのびと遊べる環境があることを本当にありがたいと思っています。
これ以上汚染地域を増やさないことが日本の子供たちすべてのためだと思います。